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10.50mmレンズの使いで12.レンズ縮小計画


町並みめぐりもわりと難しくて、有名だから行ってみたら、町のはずれにちょこっと残っているだけだった、とか、改装されてしまっていて、一応昔風なんだけど、ちょっと違うんじゃないの、ということがあったりして、「うむ、これは素晴らしい」という場所というのは、そんなにないのです。こういう事情がモチベーションの低下をまねき、ひどい写真を撮ってしまう結果となり、散歩を満喫できない理由となっているのではないかと考えています。

だからいっそ、建物自体に深入りしてしまえば、写真なんてただの記録の手段でしかなくなってしまうわけで、そうすれば散歩自体をもっと楽しめるのではないか、という考えです。


方法としては、2箇所くらい歩いて廻れる距離にある洋館を探しておいて、最寄の駅からそれを目指しててくてく散歩します。そして、何も知らない目でその洋館を眺め、面白いところの写真を何枚か撮って、後からどういう経緯で建てられたのか、設計者は誰か、どういう様式か、というようなことを、自分が撮った写真と較べながら調べるのです。すると、やはりこの建物の見所はこの部分だったのか、とか、そんな隠れたところにも細工がしてあったのか、ということがあるでしょうから、それがまた散歩するきっかけになって面白そうです。建築の知識もついでに付くんじゃないか、という期待もあります。


その洋館のある町は、できれば日本的な雑多さを内包した町の方が洋館という存在の異質さが強調されて面白いと思います。もちろん、洋館の方が素晴らしいなんて言う気はありません。西洋近代思想の中に生きている私などにはちょっと理解できない何かが、日本的混沌に満ちた町にはあるんじゃないかと前から思っているのです。洋館をめぐるついでに、そのようなことを考えながら町を歩くのは、意外と楽しいんじゃないかな。


2002年12月28日



先の文章を書いてから、何度か、御堂筋周辺などの洋館を見て回ったんですけど、建物だけに対象を絞るのはあまり私には向かないみたいで、面白くない。やはり、洋館を見るにはある程度の知識が必要になるわけで、それを身につけるにはちょっと時間がかかってしまいます。まあ、趣味に時間をかけることに関しては躊躇しないつもりですが、何だか洋館には没入できないな、という気持ちがありまして、早々に計画は頓挫してしまいました。

その理由のひとつとして、レンズの問題もあるんじゃないかと思います。わりと道幅が狭いところに大きな洋館があることが多くて、28mmレンズでも収まらない。収めたとしても、すごい仰角をつけた撮影を強いられてしまって、建物がゆがんでしまうのです。私はそんなに歪みを気にしないタイプですけど、ちょっとひどすぎる。28mmのシフト・レンズでもあれば別ですけど、中古でも高価ですし、もし買ったとしても三脚を立てて歪みを補正しながら撮りたくなるでしょうから、ちょっと散歩という範疇からは外れてしまうな、ということもありまして。


そういう写真に関する行き詰まりから、写真よりはカメラに興味が移行しまして、二眼レフやレチナを買ってしまいました。カメラを買うとやはり使うわけで、二眼レフは気に入った町、例えば神戸などを撮るのに使いましたが、レチナはポータビリティの高いコンパクト・カメラが欲しくて買いましたから、わざわざ写真を撮りに行くのではなくて、大学に行くついでに通学路の写真を撮ろうと思って、トートバッグに忍ばせたりしてみました。

通学路にちょっと古い町並みがあるので、それを撮ってみよう、というのが目論見でしたが、24EXのフィルムを入れたとしても、そこだけを撮っていたのでは使い切れない。そんなわけで、近所を撮ってみたり、通学路にある普通の町や駅を撮ってみたりしました。


現像してもらったフィルムをルーペで眺めてみると、これがいいんですよね。近代的でもないし、特に整った町でもないんですけど、いい感じの町並み、というのはあるものです。そういう町全体が美しいとはちょっと思えませんが、生活感がすごくフォトジェニックに展開されている光景というのは、探してみればあるもので、それを探すのが面白くなっていきました。その面白さと、そういう町に夢中になると、以前撮っていた整然とした古い町並みが、何か白々しい、わざとらしいものに見えてしまって、最近は普通の町を撮っています。


ただ、今になって考えると、普通の町というだけではダメのようです。例えば、新興住宅街の、薄っぺらな風景には(今のところ)興味はありません。やはり、ある程度の古さ、江戸だ明治だ、という骨董品的な古さではなくて、戦前だとか築30年といったような、中古品的な古さを持つ町と、そこに蓄積された生活感が醸し出すものに魅力を感じているようです。


2003年9月7日