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3.レンズについて5.写真について少し


MF一眼レフの質感や操作性についての文章をいろいろと書いてきましたが、私がカメラに求めているものが最近分かってきました。


私にとっては結局のところ、
1.楽しく散歩をしながら写真を撮ることができる。
2.現像した写真がそれなりのクォリティである。
3.写真を見ながら「あの散歩はよかったなぁ」と思える。
という、3点が達成されればいいわけです。


「1」は曖昧なので後回しにするとして、まず「2」ですが、これは私の腕の問題です。カメラ、レンズの性能も多少の影響はあるでしょうが、散歩写真に秒間10コマの連写や超高画質レンズが必要とは思えません。一般的なカメラであれば充分ですし、私はそういうカメラは持っていますから、結局は自分の腕次第、ということになります。

「3」については、「1」と「2」が達成されたことによって得られるものですね。

私がしつこくMF一眼レフについて書いてきたのは、MF一眼レフを使うことによって初めて「1」は実現されるのだ、と考えているからです。


楽しく散歩写真を撮るには、カメラに煩わされないことが肝要だと考えます。天気はいいし、フォトジェニックでいい場所を散歩しているのに、カメラによってそれらが台無しになってしまっては意味がありません。ですから、カメラは操作性が高く、ピントも合わせやすくないといけません。また、ファインダーの見やすさも大切です。

カメラによって楽しみがスポイルされる、という経験はデジカメで嫌というほどしました。動作は緩慢でピント精度は低く、背面のLCDに表示される画像と実際に撮れている画像とは色合いから露出まで微妙に違います。LCDを見ながら撮っているときはわりと楽しいのですが、家に帰ってPCのディスプレイで写真を見るとがっかりする、という経験を繰り返しました。そういうわけで散歩は好きですが、デジカメで写真を撮るのが嫌になったのです。使うのも楽しくないし、撮っている画像もどうせPCで見たらがっかりするんですから、そんなの使いたくなるハズがありません。


そういうわけですから、初めてMF一眼レフを手にして散歩に行ったときはすごく楽しかったのを覚えています。

ピントは手動ですから意のままですし、ファインダーでピントが確認できて、ピントが合うまではぼやけていた風景が、ピントを合わせると鮮明になる様は快感でもありました。また操作性もシャッターダイヤルと絞り環で露出を調節するだけという、古典的でありながらも、シンプルで分かりやすいものですから、煩わされることはありませんでした。要するにMF一眼レフは、私と被写体との間に介在しながらも、私と被写体との関係を邪魔しないのです。私が撮りたいと思うように、撮らせてくれるのです。


だから、私はMF一眼レフを使います。モノとしてのMF一眼レフ、およびレンズに溺れるのも、カメラを替える、またはレンズを増やすことによって散歩が更に楽しくなるのではないか、と考えるからだというのも半分くらいはあります。

まぁ、カメラが散歩の楽しみを邪魔しない代わりに、自分の腕が邪魔をするのが現状です。現像した写真を見て、その下手糞さにがっかりするのは毎回のことです。しかし、これは完全に自分の責任ですから、腕を磨くしかありません。写真のできの悪さをカメラのせいにできないところも、MFかつマニュアル露出のカメラの潔いところかも知れませんね。


2002年1月29日