フィルムで撮ることについて

約15年くらいのブランクを経て、再びコンスタントにフィルムで写真を撮るようになって10ヶ月。通したフィルムは14本。月に1、2本のペースです。ちょうどいい。

フィルムで写真を撮るようになった経緯は「フィルムカメラの使い途」と「『モノクロで撮る』にまつわる、いろいろ」という文章を読んでください。使いたいレンズとカメラがあるから、という私によくあるパターンです。

ILFORD XP2 スーパー 400

フィルムは14本中12本がILFORD XP2 スーパー400(ネガカラーフィルムと同じプロセスで現像できるモノクロフィルム)を使っています。

カラーはデジタル、フィルムは(基本的に)モノクロ、という使い分けが合っているようです。

撮影したら近くのキタムラで現像+データ化(フジカラーCD)してもらっています。最短1時間、だいたい2、3時間後には仕上がっています。週末に撮った写真を、その週末のうちに確認できるスピード感が嬉しい。

jpgデータはDNG変換してLightroomに取り込んで現像しています。たまにはデジカメでフィルムを撮影することもありますが、わりと面倒なので、だいたいはフジカラーCDで済ませています。

カメラはだいたいマニュアルフォーカス、マニュアル露出の一眼レフ。初めて使ったフィルムカメラがPENTAX MXだった影響が大きいと思います。馴染むというか、カメラが身体の一部であるかのような自然さで使えます。

Nikomat FTN + NIKKOR-H Auto 50mm F2

町を歩きながら「これはいいな」というとき、露出を決めて、ファインダーを覗く。ピントリングを回し、ピントのピークと思われるポイントを探って、フレーミングを整えて、シャッターをレリーズ。ガシャン、とミラーが跳ね上がって絞り込まれ、シャッター幕が走る。気になる画角を捉えて、フィルムに定着させる。

フィルムで写真を撮りたいわけじゃなくて、マニュアルフォーカス、マニュアル露出の一眼レフを実用するにはフィルムを通すしかないから、フィルムを通している、という面もあります。

ではもし、何らかの方法でマニュアルフォーカス、マニュアル露出の一眼レフにフルサイズの撮像素子を搭載することができて、フィルムで撮るのと同じようにデジタルカメラとして使えるとしたら、と想像してみます。そうなったらフィルムなんて使わなくなるのだろうか。

たぶん、そうなると別の問題が出てくるな、と思います。高解像度の撮像素子では古いレンズだと不満が出ます。EOS 5D MarkIIを買って実感しましたが、性能の低いレンズは如実に分かります。

Nikon F + NIKKOR-O·C Auto 35mm F2

フィルムで撮ると、高画素数のデジタルカメラほどレンズ性能の詳細は判らない。ISO400のフィルムをシャッターの最高速度1/1000のカメラに通したら、晴天下だと絞りはF8以上になるので、レンズの味とか、ボケ味とかはよくわかりません。もちろん、ちゃんとしたレンズならちゃんと写りますが、それ以上のことを云々する気がしない。さらにモノクロだと色がないので、色再現については全く判りません。

私が撮っているような写真だと、画像の精細さ、レンズ描写の細かい違いは、大きな問題になりません。もちろん、画質が低くてもいいというわけではありませんが、ILFORD XP2 スーパー400で撮れる写真は、私が使っているレンズ(1960年代から1970年代に発売された一眼レフ用レンズ)であれば必要十分以上です。使い分けは描写ではなく画角。

表現が難しいですが、マニュアルフォーカス、マニュアル露出の一眼レフの使い心地と、フィルムのもつ一種の「ゆるさ」、そしてモノクロであることが、今の私にとってちょうどいいんだろう、と感じています。

Canon FTb-N + FD 50mm F1.8 S.C.

先に紹介した記事の中で、モノクロ写真を始めようと思っている理由について「写真を撮るときの『見方』が変わって、写真を撮る楽しみが広がり、撮れる写真に変化が生まれるのではないか、という期待」ということを書いていました。

撮れる写真に変化が生じたかどうかは不明ですが、「見方」が変化し、撮る楽しみが広がったことは確かです。

モノクロ写真がこんなに楽しいものだったとは知りませんでした。

全ての写真をフィルムで撮りたいというのではなくて、デジタル一眼があり、マイクロフォーサーズがあり、コンパクトデジカメもある中にフィルムカメラがあることの楽しさ。被写体と気分に合わせてカメラを使い分ける喜び。

フィルムがいつまで使えるのか判りませんが、使える限りは楽しみたいと思っています。