フィルムで撮ることについて(2023)

1年半前に書いた文章の続き。ペースは相変わらずで、月に1、2本です。年間にすると20本くらいでしょうか。毎日カメラを持ち歩くわけではなく、休みの日にどこかに行って撮ります。被写体は街。

最近、デジタルカメラで撮ることに物足りなさを感じます。答えを知っている試験を受けるような、タネを知っている手品を見るような。それが何故なのかを考えることで、私にとってのフィルムで撮る理由を探ってみようと思います。

デジタルカメラの何よりのメリットは、撮影した写真をその場で確認できることだと思います。現像しなくていい。そしてそれによるランニングコストの低さ。だからこそ、デジタルカメラは急速に普及し、フィルムカメラを過去のものにしました。「フィルムカメラ」という表現も、デジタルカメラが誕生し普及したからこその再命名です。

しかし、現像を待つ楽しみ、というのが実はあるんじゃないか。最初はすぐに現像してくれるカメラのキタムラまでわざわざ行って、当日か翌日に受け取っていましたし、最近はちょっと落ち着いて、近くの写真屋さんにフィルムを出して、1週間後に受け取っていますが、そのタイムラグがいいような気もします。撮影して、結果が分かるまでの「タメ」。これがデジタルカメラにはない「焦らし」となって、気持ちが高まる、のかな。

余談ですが、フィルムだと撮像素子のゴミを気にしなくていいのは快適です。外でガンガンレンズ交換しても、フィルムはどんどん送られるわけで、ちょっと埃が入ったからといって、デジタルほど神経質にならなくていい。

また、前の文章にも書きましたが、フィルム特有のゆるさはあるかな、と思います。デジタルだとブレとか解像感が気になるけれど、フィルムだとそこまで気にならない。撮影自体に集中できる。

フィルムカメラが好み、というのはありますね。どこがどう違うのか、と問われても、具体的には言えないのですが。使うこと自体が目的となり得るというか。

フィルムを通したカメラ特有の緊張感も好きです。いつもは空シャッターを切ったり気楽に接しているけれど、フィルムを通した途端「巻き上げてシャッターを切ったら、確実に事態は進行していくんだよ」というピリピリしたリアリティを身に纏います。

そういう緊張感のあるカメラを持って街に向かい、駅に降り立って(あるいは車から出て)街をうろうろし、これは、という画角を見つけてシャッターを切る。そして撮り終えて帰路につき、フィルムを現像に出し、私が魅力を感じた画角は、きちんと撮れているだろうか、と思いを巡らせる。

現像から帰ってきたフィルムを撮影してデジタル化し、Lightroomで現像する。いい感じだな、ということもあれば、全然だな、というときもあり。そして撮影記録をブログに書く。

雑駁な内容なので、まとめると、撮影時の「緊張感」による高揚と、その弛緩後の「タメ」もしくは「焦らし」、そして遅れてもたらされる「結果」。撮影内容によっては、「結果」を確認しながら撮影時の高揚が再現されることもあります。この感情の波が、デジタルよりも顕著なのがフィルムなのではないか。

理由は撮影してから結果が分かるまでに時間が空くから。デジタルの場合、撮影したら、その場で結果が確認できます。だから、撮影を終えた時点で、だいたいの結果はわかっています。これが「答えを知っている試験を受けるような、タネを知っている手品を見るような」という感覚の原因でしょう。

逆に言えば、デジタルで撮りながらその都度、確認しなければ楽しいのではないか。デジタル一眼で撮影して、ポストビューは確認しない。RX100ならポストビュー表示はオフ。

今度試してみようと思います。