文章を書くことと考えること

文章を書くのは考えたいからじゃないか、とふと思いました。

考えるべきこと、その考えをもとに決断すべきことは、仕事でも日常生活の中でもたくさんあります。年をとり、親になったりすると、特に。面接をいろいろとした結果、誰を採用するか、とか、今日の晩ご飯は何にしようかな、とか。

こんなことを言うとあれですが、そんなに深く考えなくても決断はできますし、深く考えたから結果がいいとは限りません。考えても決断できないことは、まだ決断する時期でない、ということがよくあります。いろいろと考えながら経験を重ねていく中で、直感的に「これだ」というときが来るのを待つ方が、結果がいいような感触があります。ただ、そういう直感が働くのは、調べて考えた後です。何も知らず、何も考えていないと、そういう判断すらできません。

そういった日々を過ごしていくために考えることとは別に「自分とは」とか「生きる目的とは」とか「死んだらどうなるのか」という考えで頭がいっぱいになることも、若い頃はありました。それを突き詰めていけば何か得るものがあったのかも知れませんが、私の場合は「自分は自分だし、楽しく生きられたらそれでいいじゃん、今日が楽しければいいじゃん」と刹那的というか、楽観的というか、何も考えていないというか、そういうふうになってしまって今に至ります。

とはいえこの文章で言うところの「考えたい」というのは、日常的な、あるいは根源的な思考とは別のものです。興味のあることと、それから広がるものごとについて、考えるために文章を書いているフシがあるな、という気づきを得た、ということです。

私が文章を書き始めたのは、前にも書いたように、中学2年生のことです。その記事では文章を書く理由を「確固たる自分をかたち作るための試み」としています。最初はおそらくそういう内容で書いていたような気がします。エッセイを読んで感銘を受けた伊丹十三や村上春樹に触発され、比較的真面目にものごとと向き合った文章を志向していたような記憶があります。そして、それはある程度の成功を収めたというか、自分の考え方をかたち作るのに貢献したとは思います。

しかし、そのようなテーマに飽きてしまったのか、馴染めなかったのか、すぐ趣味について書くようになりました。伊丹十三は『ヨーロッパ退屈日記』の中でロータスについての文章を書いていますが、当時私は車に夢中でしたから、車をテーマにして文章を書くのは当然の流れでもあります。中学3年生の自由研究は車をテーマにしましたし、車について調べて文章にするのが何より楽しかった覚えがあります。学年の全員に車についてのアンケートを取ったりして、真剣に取り組んだ記憶。

それが今は写真とカメラです。

興味のあることについて調べたり、考えたりするのは、とても楽しい。「カメラを持ってどこを撮影しようか」と考えることや「新しいカメラやレンズを買おうかな」と調べることには、時間を忘れて没頭してしまいます。

例えば今で言えば、Summitarというレンズのこと。

デジタルで試し撮りしてみたところ、フードがあった方がいいな、と実感しました。ではフードをどうしようか、と考えると、純正フードとしてSOOPD、SOOFMという大きな四角形のものが用意されています。効果はありそうですし、ファインダーの視野を遮らない工夫もされています。また折りたたみ式で収納時に薄くなるので、バッグへの収まりもよさそうです。ただ、形状が特殊なので目立ちそうです。そのフードを付けて写真を撮っている人がいたら「何だあれは」と見てしまうでしょう。

一般的な形状がいい、ということであれば、その後に登場したITDOO、フードを逆付けできるよう改良されたIROOAなども使えます。そのどれかを買えばいいわけですが、何せ高い。人気のないSOOPD、SOOFMですら1万円近くしますし、ITDOOなどは2万円未満となると、程度の悪いものしかない。IROOAのコピー品があって、これは中古だと7,000円くらいで手に入ることもあるようですが、それでも高い。7,000円って、ちょっとした中古レンズが買える価格です。

とはいえ、実用の面でフードの必要性は切実に感じているわけですから、効果重視、純正で安い、というところからSOOPDかSOOFMを買おうかな、という気になりかけたものの、やはりちょっと大げさすぎるんじゃないか、と決断できない…というようなことを考えるのが楽しい。

でも、考え調べるだけだと収まりが悪いというか、頭の中で考えがぐるぐるまわるばかりで、落ち着かない。それを文章というかたちにすれば、頭から一旦排除できるような気がします。そして、また同じことでも違う方向から考えたり、全然違うことを考えるようにしたりできる、というか、しやすい。そのために考え調べては文章を書く、ということを繰り返しているんじゃないかと思います。

それに書いていく中で考えがまとまります。ぼんやり考えているだけだと気付かなかったことも、書いていくと、これは飛躍だな、とか、こう考えていたけれど、こういう考えもありえるのか、ということに気付きます。だからどうした、ということではありますが、それが楽しい。

日常生活にまつわる様々な決断すべき事象を一時的に脇に置いて、好きなことで頭の中をいっぱいにしたい、という気持ちは、ある種の逃避なのかもしれません。その時間を作ることによって、バランスを取っているのかな、という気がします。

そんなわけで、どうしても文章を書かずにはいられない性分のようです。

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