モノクロフィルムで撮ることについて

2021年9月にモノクロフィルム(主にC-41プロセスで現像できるILFORD XP2 SUPER 400)で写真を撮り始めて、もうすぐ3年が経とうとしています。

フィルムで写真を撮り始めたのが2001年5月で、2005年の11月まで、4年半に渡りコンスタントにフィルムで撮っていました。それから16年弱の長いブランクを経て、またフィルムで撮るようになりました。

モノクロフィルムを通したカメラを持って街を歩くのはとても楽しい。フィルムは巻き上げて、いつでもシャッターをレリーズできるようにしておいて、気になる画角を捉えたらレリーズ。歩き疲れたらカフェに入ったり、ビールを飲んだり。36コマって、少ないようで意外と多い。

モノクロで写真を撮りはじめたのは「ニッコール・オート世代のレンズを持っているのに、実使用する機会が少なく、もったいない」という気持ちに端を発します。もともと、NEX-6を使っていた頃に、その質感とこんにちでも通用する光学性能にひかれて手に入れたレンズでした。それがマイクロフォーサーズに移行したせいで、画角的に使いにくくなりました。またEOS 5D MarkIIで使おうと思っても、物理的に装着できないレンズも多いために断念。そんな流れの中、2021年8月にNikomat FTNを実家の防湿庫から持ち帰ることを決意しました。

それが8月12日、お盆休みで子どもたちと実家に遊びに来た折に、やはり気になって、久しぶりにNikomat FTNを触ってみました。いいカメラだな、と思いました。モルトプレーンは傷んでいるし、ファインダーにはゴミがあるのだけれど、シャッターはちゃんと動いているようだし、ダイヤル類もちゃんと動く。これはちゃんと整備して、不安なく使える状態にしておきたい、と決心しました。

ニッコール・オート世代のレンズを有効活用するには、フィルムカメラで使うのがよさそうだけれど、今フィルムで撮る意義はあるのか、と考えた結果、モノクロでの撮影に行き当たります。その気持ちを当時は次のように表現しています。

モノクロームは、ほとんど使ったことはないものの、面白そうだな、と感じています。形状や陰影など、カラー写真とは違った被写体の選び方が必要になるところが、デジタルとアナログの切り替えにもなって、上手に使い分けできるのではないか。デジカメで撮ったものをモノクロームに変換することは簡単ですが、それでは面白くない。モノクロームのフィルムを詰めて撮ることで、見え方が違ってくる、見るものが変化するんじゃないか、という期待。

事実、モノクロとカラーとで撮るものが違います。モノクロで「色が綺麗」という被写体を選ぶのは難しい。ファインダーを覗いて、モノクロだとどうなるか、と想像しながら撮っています。この「想像する」というのが、モノクロの楽しみの大きな部分を占めている気がします。その結果は、現像されたフィルムをデジタル化し、Lightroomでトーンを整えたときにわかります。上手くいくときもあれば、そうでないときもあるけれど、それが楽しい。

その後Nikon Dfを手に入れたので、ニッコール・オートを実用するためにフィルムで撮る必然性はなくなってしまいました。最初からNikon Dfを買っていれば、EOS 5D MarkIIを買う必要も、Nikomat FTNをオーバーホールする必要も、Nikon Fを手に入れる必要もなかったし、そもそもモノクロフィルムで撮影する必要はなかった、とは思いません。モノクロフィルムで撮る経験が、カメラと写真に対する考え方の幅を広げたことは確かです。

具体的に言うと、デジタル一眼レフやミラーレスって、便利ではあるんだけれど、神経質なところがあると思います。高画素になるほどピントやブレに敏感になりますし、撮像素子に付着するダスト問題からは逃れられません。その点、フィルムカメラは高画素のデジタルカメラほどの精細さ、シャープネスはない代わりに、ピントにはそんなにシビアじゃないし、撮像素子はないのでレンズ交換に対して神経質にならなくていい。どちらがいいかではなくて、どちらもが選択肢として手許にあることが嬉しい。

また、モノ自体の手触りや操作感といった部分で、古いもの特有の魅力が確かにあって、その魅力を味わうためにフィルムを通している面も少なからずあります。

私のように最終的にデジタルデータが欲しい場合、特にフィルムで撮る必要性はありません。モノクロデータなんて、カラーのデータから簡単に作れます。モノクロフィルムで撮って現像してもらって、それをマクロレンズ付きのデジタルカメラで撮る、なんて面倒なことをする意味なんて、物好き以外の何ものでもありません。

でも、趣味というのはそういうものです。仕事じゃないんだし、効率性とか必要性といった文脈で評価するものでもない。まあ、そんな人はいないと思いますけれど。結果は同じかもしれないけれど、プロセスに違いがあって、そのプロセスに魅力を感じている、というわけで、まだまだしつこく撮りたいと思っています。