写真を撮る理由

いつの間にか、週末ごとに「どこに写真を撮りに行こうかな」と考えています。もちろん、必ず毎週どこかに行けるわけではなく、行けるときもあれば、行けないときもあります。でも、いつも写真を撮りに行く機会をうかがっています。

なんでそんなに写真を撮りたいのか。写真コンテストに応募するわけでもなし、地域の写真サークルに入るでもなし。細々とブログで書いたり、Twitterに載せたりするだけなのに。

この気持ちはどこから来るのか、つらつらと考えてみました。

「カメラとレンズが好きなので使いたい」という気持ちは大きな部分を占めていると思います。カメラとレンズが好きでなかったら、そんなに写真を撮りたい気持ちにはならないと思います。

私とカメラとの「出会い」が、それを象徴しているような気がします。写真を撮る習慣も、欲求もなかったのに、デジカメって面白そう、という理由でOLYMPUS CAMEDIA C-2020ZOOMを購入しました。そこから父からPENTAX MXを使い始めてフィルムに流れ、今の嗜好が形成されたように思います。

5年ほどは熱中していろいろ撮影に行きました。そのときの記録はこんな感じです。

就職してから、2016年くらいまでの10年くらいは、そんなに写真を撮りたい気持ちはありませんでした。コンパクトデジカメをいくつか買ったり、譲ったりした記憶がありますが、まあ機会があれば、という程度。忙しかったのが最大の理由だったように思います。

2010年に結婚し、2013年に子どもが生まれた頃も、もともと持っていたカメラとレンズを使い続けていました。満足していたわけでもないですが、とくに不満には感じていませんでした。

それが2017年にRX100を買い、それでは飽き足らずにNEX-6を買って古いレンズで遊んでいるうちに、ふと気付けば、こんなところまで来ていました。

道具に凝るタイプというか、そういう傾向はあります。文房具も好きですし、PCも好きです。あと車も好きです。ただ、最近はそんなにこだわらないというか、カメラとレンズと比較すれば、熱量は小さいですね。

ただ、「カメラとレンズが好きなので使いたい」という気持ちが全てではありません。写真を撮ることが好きだし、楽しい。

カメラを持っていると、シャッターを押すに足る画角を探して、キョロキョロする。振り返る。脇道を覗き込む。言葉にはできないけれど「お」という感覚になると、ファインダーを覗いてみる。「うん、これだ」とシャッターを押すときもあれば、「ちょっとちがうな」となることもある。そしてまたキョロキョロが始まる。

帰宅して(現像して)写真を確認すると、いいな、と思う写真はそんなに多くないのだけれど、この「いいな」という自分でもよく判らない判断基準は確かにあります。

いろいろと考えたところ、この判断基準って、シャッターを押す気になった対象に感じた「よさ」をどれだけ再現できているか、なのかな、と思います。

ある種の美しさなのか、儚さなのか、何にせよ「よさ」を感じてシャッターを押す。その結果を帰宅して確認する。写真だから、そこにあったものが撮られていることは確かなんだけれど、撮影時に感じた「よさ」を、その写真を見て感じるか。

私はデジタルの場合はRAWで撮ります。フィルムで撮ったものもデジタル化してもらって、DNG変換しています。その上で調整しています。この調整は、撮影時の「よさ」にできるだけ近づける作業なんだな、と、この文章を書きながら気づきました。暗部のトーン、空の青さ、緑の輝きなど、記憶と実際の写真に違いはありますからね。

こういった自分が撮りたいものを探して撮って、それを定着させたい気持ち、というのが写真を撮る理由のひとつです。

また、家族でいろいろと遊びに行くのが好き、というのもあります。写真なんてひとりで撮りに行けばいいし、実際ひとりのときもありますが、可能であれば家族で行きたい。

ちょっと遠出して、おいしいご飯も食べて、いい写真も撮れて、ちょっと疲れたけれど、楽しかったよね、というのがベストです。毎回、そううまくは行きませんが、目標として。

今週末もまた、どこに行こうかな、と考えています。奈良に行く用事があるので、奈良町とかまた行きたい。

ファイル・ロケーション: 雑文