子どもたちのこと

子どもたちは来年度、中学生になります。

これからが一番しんどい時期だな、と思います。

中学・高校というのは、私の経験から言うと自分を確立していく時期です。小学生のときは、わりとのほほんと生きていたような朧げな記憶があります。ミニ四駆を買ったり走らせたりして。

でも、中学生のときは違いました。45歳の地点から考えると、自分とは何者かを考え、自分で自分をかたちづくっていく時期だったんだなあ、と判ります。しかし、当時は本当にしんどかった。

高校は自分がこれからどうするのか、というのを問われる時期です。どの大学に行くか、あるいは行かないか。何を仕事にして生きていくのか。

自分がゆくゆくは何をして生きていくのか、そして何をするべきか、何をしないべきか、私には真剣に考えていなかったし、全く分かりませんでした。省みるに、そのときにすべきことを疎かにし、単にしたいことだけをしていた気がします。すべきことをもっと真剣にしていたら、というのは今考えても詮ないことです。ただ、子どもたちはどうするのかな、というのは考えます。

すべきことはしてほしいけれど、すべきことは絶対ではない。すべきことをすべきときにしないと後から大変です。私も大変でした。卒業できず、従って就職できず、本当に困りました。でも、何とかなって今に至っています。

文学部みたいなところを出て、いや、出る前にWeb系の技術者として就職し、プログラマーとして働きました。そして働きながら、一応何とか卒業しました。その後、最初に就職した会社が倒産したため、その伝手で、社内のWebシステム一式の作成、メンテナンス、改修担当として転職しました。そこには15年いました。

就職の流れとしては、イレギュラーです。幸運なことに、結果的には何とかなっただけで、同じことが子どもたちにできるか分からないし、おすすめもしません。

だから、子どもたちにはスムーズに働き口を見つけて欲しいです。そこでずっと働く必要はないけれど、まずは頑張ろうと思える仕事について働いてみる。その後、自分で何かするもよし、違う会社に行くもよし、同じところで働き続けるもよし。でも、スムーズにいかないかもしれない、私がそうだったように。

私が、もし30年の時を遡れたとしたら、すべきことを真剣にするだろうか。頑張ったら、もっといい大学に行けたかもしれないし、スムーズにそこそこ有名な会社に就職できたかもしれない。

でも、そういうのって一番大切なことじゃない、と私は思っています。

だから、子どもたちにも本心から、すべきことだけ真剣にしなさい、という気になれないところがあります。もし「すべきこと」と「したいこと」のどちらかを選ぶ必要が生じたら「したいこと」を選んで欲しい。もしできるなら、問題にならない程度にすべきことをしながら、したいことを追求してほしい。それがお金を産むかはわからないけれど、それはたぶん生きる糧になる。

人はパンのみにて生くるにあらず。

まあ、妻はそうは考えないでしょうね。しかし、夫婦というのはバランスです。妻も私と同じ考えではバランスが取れませんから、それでいいのです。

親とは、ことほどさように様々なことを考えたり願ったりするものなのでしょうが、子どももまたひとつの別人格です。妻とも私とも違う考えで生きていくことでしょう。

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