旅行に行ったからといって、写真的に満足できるわけではない。2024年の年末から2025年の年初に訪れた広島で痛感したことです。
私にとっての旅行と写真の関係について、ちょっと考えてみたいと思います。
まず確かなのは、旅行に行くのは写真を撮りたいからです。旅行には食べ物や買い物といった楽しみがあることも確かですが、私にとって何より楽しみなのは写真を撮ること。
想定として現実的ではありませんが、旅行中の食べ物がすべてコンビニに限定され、買い物を食事以外禁じられたとしても、写真が撮れるならよし。逆に言えば、どんなに美味しいものが食べられて、興味深い買い物ができるとしても、写真が撮れないのならば、旅行には行きません。でもまあ、おいしいご飯を食べたり、コーヒーショップにふらりと入ったり、通りがかった気になるお店でお土産を買ったりすることが旅行の楽しみのうち、大きな部分を占めていることは確か。
次に問題になってくるのは「写真的に満足する」とはどういう状態のことなのか、という点です。1,000コマ撮っても不満なこともあれば、36コマで満足なこともありますから、数の問題ではない。おそらく大切なのは、撮った写真を確認した(デジタル)かしていないか(フィルム)にかかわらず得られる「いい写真が撮れた」という実感です。経験上、撮った瞬間にその実感を伴った写真は、高い確率で満足できるものです。
また、もうひとつ重要なのは、被写体(私の場合は大抵の場合「街」です)を見て歩くことも楽しみのひとつなので、行きたいところに行けた、という満足感もあります。天候の問題や時間の問題で、行きたいところに行けなかった場合、満足感は低下します。
さて、ここで気付くのは、写真を撮るために、旅行に行く必要はあるのか、という点です。
人はなぜ旅に出るのか。私にとっては行きたい未知の街を歩いて写真を撮り、いい写真が撮れたな、という手応えを感じたい。でもそうだとしたら、近所でもいい。近所の入ったことのない路地、通ったことのない道は「未知」ではないか。近所が変わり映えしないのならば、電車で10分、15分先の降りたことのない駅も未知の街です。
とはいえ、旅行のみが持つ魅力みたいなものは確かにあって、お金もかかるし疲れることは明白なのに、行きたくなるものではあります。
何事もそうですけど、期待しすぎないことが重要なんでしょうね。写真的にも満足して、おいしいご飯が食べられて、雰囲気のいいカフェで休憩できて、お土産にぴったりのものに巡り合うなんて、僥倖であって、このうちのどれかひとつ、満足できるだけでラッキーなんだ、という意識であれば、がっかりすることもない。
そういう意味で言えば、年末年始の広島旅行は満足でした。尾道では可愛い猫に逢えたし、艮神社門前のラーメン屋さんもおいしかった。ホテルで食べる年越しそばは新鮮でした。厳島神社では御朱印も戴いたし、牡蠣はおいしかったし、帰りに食べたお好み焼きもいいお店に巡り会えました。妻とふたり、紙屋町のタリーズでゆったりとコーヒーも飲めました。充分すぎます。
カメラを4台持っていったりして、写真的に欲張り過ぎたんでしょうね。フィルムカメラ1台、レンズ1本にRX100くらいがちょうどいいのかもしれません。今後の戒めとして。

