私はテーマパークや遊園地が苦手です。なぜ苦手なのかと考えるに、体験することを強いられるのが好きじゃない。何でお金まで出してそんなとこにいって、そんなことせなあかんねん、というのが偽らざる私の気持ちです。
好きなレンズとカメラを持って、街をうろうろ歩く方がずっと愉しい。
テーマパークや遊園地はそこにあるものを見たり、体験することを強いてきます。行く方としても、せっかくお金を出して入ったんだし、できるだけ多く見て体験しよう、という気持ちになりがちです。そして、アトラクションに入場するのに並んだりして。
もちろん、それが見たいから、体験したいから行くのであって、そのことについて苦言を呈する方がおかしい。そんな人は行かなくていい。
ひらかたパークは入園料が安いため、子どもたちはフリーパースにして、大人はベンチでゆっくりする、という方法をとれるのが美点で、何度か行きました。バラ園があって写真もちょっと撮れるし、ライトアップなどもフォトジェニックです。コーヒーと軽食かおやつでも買って妻と喋っていれば、子どもたちは自由に遊んでくれます。最近は、子どもたちがひらかたパークに興味を示さなくなってきたので行っていませんが、もしディズニーランドに行くようなことがあったとしたら、同じような過ごし方なら大丈夫かもしれません。しかしまあ、そこまでして行く必要ってあるだろうか。
美術館についても、最近しんどさを感じることがあります。
絵画や彫刻といった美術というかアートは基本的に饒舌なものだと私は思います。何かを訴えかけている。逆に言えば、訴えかける何かがないものはアートとは言えないのかもしれません。
アートは、最終的には作者のものだな、と感じます。作者が提示するものをどう捉えるかを委ねられている。もちろん、掲示されている何かについて考えたり、作者に詳しい人は作者の今までの作品の流れから読み解く楽しみがあることは事実ですし、それが面白いこともあります。しかし、ぐいっと来られると引いてしまうときがあります。
大学生のころ、少し日本近代文学について勉強をしましたが、文学研究というのもそういうことです。小説を読み、そこに書いてあることに論じる。また作家論というのもあります。
そのころは卒業論文の他にも、必要もないのに短めの論文を書いて指導教官にチェックしてもらったりしました。みんなで同じ作品を読んで論じるのが何より愉しかったのです。
しかし、そういった訴えかけている何かを感じ取るのがしんどいときがあります。要するに受け手であることに対して疲れている。
だからどうした、という話ではあるのですが、経験上、これはバランスが失われている状態なんじゃないかと危惧しています。いつかまたこの文章を読み返して、考え直したいので記事にして残しておきます。
