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1.デジカメを買った理由3.デジカメ使用感


私がなぜこれほどカメラに夢中になっているのか、と考えてみた。結論から述べると、アーティスティックなことに憧れていたから、ということなる。私は楽器もできないし、絵心もないことが判明した。文章を書くという趣味はあるけど、私の書いているものは雑文であって、全然アーティスティックではない。日記みたいなもんだ。

私は運よく、アートが理解できないということではないみたいで、音楽を聴いて感動したこともあるし、絵を見て感動したことだってある。しかし、そういうものを創出することができないというもどかしさ。思うにそれが「憧れ」になったのだろう。


ではなぜ、私が写真を選んだのかというと、それは偶然でしかない。違うところで書いたように、私はデジカメという機械自体に興味があって、大学合格を機にデジカメを買った。それが今年の5月3日ということになる。それまでは写真の面白さなんて知らなかったし、どちらかというと嫌いだった。

買ってすぐに「写真を撮るというのは、これほどまでに面白いことだったのか」と思った。私の写真が感動させることができるかは別にして、それは上手く行けば、人を感動させることができる。即ち写真は、私が憧れていたアートだったのだ。それに、素材は周りにいくらでもあって、私はその中でカメラを構えて、私のセンスでそれを切り取るだけなのだ。なんて簡単なんだ。


私は基本的に凝り性なので、興味のあるものについてはとことん追求したくなる。それで、いつの間にやら、デジカメ・エンスーの道に入りつつあるのだけれど、まだまだ腕が付いて来ずに、ロクでもない写真ばっかり撮っている次第である。たまには自画自賛ながら、「これ、いいなぁ」と思う写真もあるが、確率からして、私の腕というよりも偶然の産物に近いように感じる。狙って撮れたわけじゃないから。


でも、写真を撮るようになって、風景の見方が変わった。これまでは風景を鑑賞するなんてことはなかったのに、最近は「ここをこういうふうに撮ったら綺麗だろうなぁ」と思うようになった。

それから、他人の撮った写真にも興味を感じるようになった。今までは当たり前のように見ていた写真も、自分で撮るようになるとある程度はその凄さが分かるようになってきた。最近の話では、高校時代の友人たちと大山に行ったのだけれど、そのふもとにある植田正治写真美術館が感動的だった。時間の都合で1時間くらいしか見ることができなかったのが心残りである。いつかまた行きたい。

大袈裟かも知れないけど、写真を撮るようになって、ちょっと精神的に豊かになったかな、と思っている。


2000年10月30日