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吉野山

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−シロヤマザクラで有名な修験道の霊場


「吉野山といえば桜」というのが一般的な認識だと思いますが、その歴史を調べてみると「吉野山といえば修験道」と言いたくなるほどに、修験道と強い係わりを持っています。だいいち、桜が多い理由からしてそうですから。


白鳳時代(645年から710年)に役行者が金峯山(山上ヶ岳)で修行をし、衆生を救うべく強力な仏を望んで祈ったところ金剛蔵王権現が現れたため、それをヤマザクラの木に彫って祀ったのが修験道の始まりです。その由来により、信仰の証として時代を通じて桜を植え、保護していたおかけで、現在の規模になっているんだそうです。

役行者については実在したことは疑えないものの、実際にどういう人なのかよく分からないのが実情のようです。生まれについては「634年、大和国葛木上郡茅原(奈良県御所市茅原)で神官の家に生まれる。本名は賀茂役君小角(かものえのきみおづの)」となっていますが、賀茂氏というのは当時の実力者ですから、実際にはどうなのかな、本当かなあという印象を受けます。

ちなみに「修験道」とは日本古来の自然崇拝(山岳信仰)と、外来の仏教、儒教、道教などが融合してできた宗教だそうで、体系化されたのは平安時代に入ってから。その平安時代には皇族、貴族が競って吉野に参詣し、荘園や田畑を寄進していることからも、その信仰の篤さが伺えます。また、吉野に金峯山寺蔵王堂ができたのも、修験道が一般的になったからのようです。山上ヶ岳にある大峰山寺に参拝するには相当の体力が必要なので、山の中腹に祀ったのが金峯山寺蔵王堂だというわけです。


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