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5.写真について少し7.私が撮っている写真について


写真を撮るにはカメラなんて1台あれば充分だ、とは思います。故障したときの予備として複数台持つ意味はありますが、私みたいにフィルム・カメラを10台以上というのは、ちょっと持ちすぎという気が、当人である私でもします。

しかし、カメラを複数台所有する方が、1台だけ所有するより、それぞれのカメラに対する愛着は深まっているように思います。


私はレチナIaというカメラを持っていますが、これ1台だけで全てをこなすのはちょっと無理があります。ピント目測だし、露出計はないし、レンズは固定だし。きちんと写真を撮れることは確かですけど、これだけ、というのはちょっと無理があります。

しかし、だからといってレチナIaが嫌いかというと、そんなことはありません。このカメラは製造されてから50年以上経過していますが、蛇腹式ですから折り畳むとすごくコンパクトになりますし、作りもしっかりしています。また、写りも充分満足できるものです。はっきりいえば、ちゃんとしたフィルムを入れて露出をきちんとコントロールすれば、最近のコンパクト・カメラよりよほど綺麗に撮れます。手放す気は全くありません。


もし、カメラを1台だけ残して処分しなさい、ということになるとEOS50E(EOS55の海外版)に落ち着くんじゃないかと思います。生産中止になって日が浅いためメイカーで修理してもらえますし、中古市場にたくさんある上に安価なので惜しみなく使えます。だいたい私は一眼レフが好きですし、レンズは交換できるに越したことはありません。それにEFマウントはフランジバックが短いのでアダプタを介することで様々なレンズが使えます。また露出の決定もしやすいですし、機構的にも完成されていますから安定しています。

しかし、その場合、そのカメラに対する不満は今よりも強く意識せざるをえなくなるでしょう。どれもユニークないいカメラだと思っていますが、それ1台しかないとなると、いろいろと問題が生じます。EOS50Eに関して言えば、まずボディが大きい。そして質感がすごくチープ、ファインダー倍率が低い、電池がなくなると全くのお手上げになりますし、第一カメラを趣味にする者としては味気なさすぎます。もし他のカメラを選んだ場合でも、信頼性が高くない(古いことによる故障に対する心配)とか、シャッター速度の最高速が遅いとか、ファインダー内表示が少ないとか、巻き上げの感触がよくないとか、そういった点で不満が出てくることでしょう。


今のようにカメラを何台か持っていると、それぞれのカメラの欠点を認識しつつも、1台だけで全てをこなす必要はありませんから、その欠点は相対化されていまいます。例えば、今日は楽に行こうというときにはEOS50Eにズームレンズを付ける、散歩がメインでないけど写真は撮りたい場合にはイクシ・ディジタルを持つ、しっかり写真を撮ろうというときにはマニュアル・フォーカスの一眼レフを持つ、というように状況に応じて対応できます。そうしておけば、EOS50Eのチープさや、ペンタックスMXの巻き上げのヤワさ、OM-1のファインダーの暗さという欠点は厳然として存在するものの、まあそういうカメラだし、それが気になる場合は違うカメラを使えばいいわけだし、とその欠点を受け入れることができます。


ただ、これが誰にでも言えることかというと、少々疑問が残ります。私はものに対する執着というか愛着は強い方なので、カメラとの一対一の関係はちょっときつい。このカメラが壊れたらどうしよう、とか、この欠点はちょっと困るなあとウジウジと考えてしまう。すなわち愛着が強すぎて、カメラがひとつで、それだけを使い続けるという状態にたえられないんです。でも、カメラが増えて愛着と執着が分散されることによって、密着しすぎないちょっとクールな関係を保つことができるのではないか、と今のところは考えています。密着しすぎると欠点はより強く認識されるし、美点は当然のことになってしまうのですが、それが避けられ、上記のように欠点は相対化され、美点は浮き上がってくることによって、べたべたしない愛着が増している、ということでしょう。


2004年3月16日
加筆:2005年6月17日