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5.欲しいデジカメ7.欲しい病、悪化


デジカメはPCを使う私にとっては、現像の手間もかからず、レタッチも自分でできて大変に便利なものなのですが、フィルムを装填して使う、ちょっと古いメカニカルなカメラにも魅力を感じてしまいます。

デジカメの機能面にはある程度以上の満足を感じているのに、そういうカメラに惹かれるのは、やはりデジカメに「道具」としての質感や、精密機器特有の美しさが希薄だからだと思います。古いカメラのシルヴァーの金属製ボディと、角張ったデザイン、触ったときのひんやりしてずっしりと重い感じ、シャッターを切ったときの音と指に伝わる感触は、デジカメにはない、ソリッドな感覚を伴って「写真を撮っているんだ」という気にしてくれます。

私はそういうカメラを持っていないので、上の文章は父のペンタックスMXを触って写真を撮った時の印象なのですが、「そういうカメラを所有したい」という欲求は、ことあるごとに(カメラに夢中になったり、今回のように赤瀬川原平の「ライカ同盟」(ちくま文庫)という本を読んだりした時に)ふつふつと沸いてきて、書店の店頭で必死にカメラ雑誌を読む、ということになってしまうのです。それは、すごく楽しくはあるのですが、まぁ、あまり他のことは手に付きませんね。困ったことに。


さらに困ったことに、赤瀬川原平の「ライカ同盟」にもあるように、あまり新製品のカメラに魅力は感じないのです。何か、新製品のカメラには、電子部品がいっぱい付いていて便利だけど、全然愛嬌のないクルマのような印象があります。それは、写真を撮るには便利ですが、あまり使っていて楽しくなさそうです。デジカメと同じところに不満を感じるに決まっています。やはり、「道具」としての質感や、精密機器特有の美しさを求めて買うカメラなので、実用性よりも情緒面を重視したいわけですね。それで、中古カメラということになります。中古でないとしたら、ずっと作り続けられているマニュアルのカメラですね。

私はすごく古いヤツにはあまり興味がなくて、露出計を内蔵した一眼レフかレンジファインダーあたりが好きです。詳しくないのでよく分からないのですが、ほとんど誰もカメラを持っていなかった時代のものでなくて、もっと時代は下り、生産量も多くなって好きな人はわりと持っているけど、知識(絞りとかシャッタースピードの意味など)がないとマトモに撮れない時代のカメラがいいな、と思うのです。たぶん、70年代までだと思います。ボディがまだ金属の時代ですね。それから、露出計は付いているけど、操作はマニュアルがいいのです。シャッタースピードなんかも、ダイヤルで設定するヤツ。オートというものは何もいりません。私が自分でします。


その時代のものを好むのは、比較的新しいので、壊れている可能性も低く、現役で使っている人もいることから、修理も対応してくれそう、という購入に際しての現実的な「読み」もありますが、やはり、初心者が実用するにはその時代のがいいし、デザインもシンプルで好きなのです。飾りのない、すっぱりとした感じが好きです。

これくらいの「熱い思い」を持っているのに、今まで買わないのには理由があります。フィルム・カメラというのは奥が深すぎて怖いのです。私は凝り性なので、最後は中古カメラを買って分解修理して使えるようにしたり、自分で暗室を作ってフィルムを現像したりしそうな気がするのです。気がする、というか、そんな深みにはまることが目に見えているのです。だから、「欲しくて欲しくて居ても立ってもいられない」という状態になるまでは買わないでおこう、と決心したわけです。『いいなぁ』などと思っているうちは、買わないでおこう」と。

しかし、その時期が来たようです。赤瀬川さんのせいです。「ライカ同盟」を読んでいたら「欲しくて欲しくて居ても立ってもいられない」ようになってしまいました。なので、今度2万円くらいの中古カメラを買おうと思っています。レンズと合わせても5万円くらいまでで。レンズはコンパクトで広角なのがいいですね。可能なら28ミリか24ミリ。最悪でも35ミリでしょう。可能なら、カメラと同じメイカーのヤツにして、デザインを合わせたいものです。

何にするかは、今から雑誌を読み漁って考えます。